平成25年09月07日〜平成26年03月09日 41件

皇紀2674年01月01日 あけまして、喪中につき新年の挨拶は控えさせていただきます。
                 & 11ヶ月ぶりに amazon アフィリエイト キタ━━━(゚∀゚)━━━ !!!!!

 年は明けましたが、去年の暮れ、20日未明に父が死去しましたので、今年のお正月は喪中も喪中、 忌中にございます。
 よって、勝手ながら新年の挨拶を控えさせて頂きます。





 父が亡くなった理由は、悪性リンパ腫です。

 私と違ってリア充だった父は、若い頃からゴルフだマラソンだスポーツジムだとスポーツに勤しんでお りました。
 引き篭もりな私には其のスポーツが原因だと思えるのですが、早い頃から変形性膝関節症を発して 痛みを訴え、やがて脊椎辷り症を発して歩行困難となり、手術を繰り返す破目になりました。 それで も、痛みを押して働きスポーツジムで自主的なリハビリを続ける“頑張る人”でした。
 そんな父が、3度目の脊椎手術を終えて、歩行に障碍が残るようになってしまいました。 そこで、自 主的なリハビリではなく、リハビリを専門に行う高齢者施設へ通所することにしました。 要介護の申請 結果は「2」。 週に数回の施設通いと私が休日の日には私の運転で会社へ行く ・・・ そういう日々が 何事もなく流れていく筈でした。

 しかし、「おかしい。 胃が痛い。 食欲がない」と父が言いました。 父がロキソニンという鎮痛剤を就 寝前に服用して腰痛を凌いでいましたので、「ロキソニンなんて強い薬を空腹時に服用しちゃダメだよ」 と答えていました。 しかし、ロキソニンの服用を止めても胃痛は消えず、やがて食事の量が激減してし まいます。 「これは他に原因があるだろう」と会社事務所近くの大きな病院で看て貰った結果、想像も しなかった原因が見つかりました。

 悪性リンパ腫です。

 無知な圭坊は、リンパ腫というのはリンパ節が腫れる病気だと思っていたのですが、父の場合は、胃 の背面で脾臓が野球のボール大に膨れて胃を圧迫していました。 これが原因で食事が摂れなかった 様です。

 原因は分かりましたが、問題は治療です。 他の多くの人がそうであるように、私もまた、身内が病気 になって初めてその病名について調べました。

 分かった事は、

 ・ 造血幹細胞移植のような高度医療を除けば、基本的に化学療法 ( 抗癌剤治療 ) のみである。

 ・ 悪性リンパ腫は30種類以上に分類され、それぞれ効く抗癌剤が違う。
  抗癌剤は全身に巡るので、ステージ的に進行していても抗癌剤が効きさえすれば高い確率で治る。
  効かなければThe_END。 つまり、運否天賦。

 ということでした。

 抗癌剤を決定するために、これでもかといわんばかりの検査を繰り返して化学治療が開始されまし た。

 ・・・ 結論から言えば、選択された抗癌剤は素晴らしい効果を示し、医師から「治った」とお墨付きを貰 えるレベルになりました。 なにせ、PET ( 陽電子放射断層撮影 ) に全く映らなくなったのですから、(  再発の可能性はあるものの ) 一応は完治です。

 「医学って凄い」とあらためて感心させられると共に、親父の運の良さに感謝しました。

 そうして、再び日常が戻ってきました。

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 ところが戻ってきた日常は長く続きませんでした。

 かつて一度は、PET ( 陽電子放射断層撮影 ) に全く映らないレベルまで完治したのです。 常識的に 考えれば、代謝の緩やかな高齢者は癌の進行速度が遅いのが普通です。 私が事務員を勤めさせて 貰っている高齢者介護施設にも、体力的に手術の出来ない固形癌患者がデイサービスに来ていたこと がありました。 最終的に亡くなってしまわれましたが、随分と長く通われていたので、「高齢者の癌っ て、進まないモンなんだな」と思っていました。

 ところが父の悪性リンパ腫は違ったのです。

 退院後僅か2ヶ月で、父は同じ症状を訴えました。
 病院で検査を受けたところ、結果は最悪でした。 PET ( 陽電子放射断層撮影 ) の画像をビッシリと 埋め尽くさんばかりに悪性リンパ腫が再発・進行していたのです。

 再び化学治療 ( 抗癌剤治療 ) が施されました。 しかし、かつて効いた抗癌剤は最低でも退院後一 年間以上空けないと再度使用することが出来ないので、一回目と異なる抗癌剤が処方されました。

 しかし、残念なことに新しい抗癌剤は殆ど効きませんでした。

 「 最後にやり残したことを済ませて来るように 」 という意味で、父は11月9日に退院しました。

 その後も、通院で経口の抗癌剤を処方して貰うのですが、入院して抗癌剤を血液中に投与して効か ない物が経口で効く道理がありません。 幸いなことに、( 生前の本人曰く ) 胃が圧迫されて食事が摂 れない以外は、倦怠感があるだけで痛くも苦しくもありませんでしたので、穏やかに日々は過ぎていき ました。 とはいえ、栄養が摂れず、摂った僅かな栄養も癌化したリンパ球の増殖に使われてしまう状 況下では、時間の経過と共に衰退して行く事が避けられません。
 ですが、父は11月の下旬に、以前から「治ったら行こうね」と予約していたクルーズツアーに母とペア で参加します。 体力的に考えて無理だと思ったのですが、国内なら急変があっても大丈夫だろう、と いうことで、参加してもらうことにしました。 おそらく、最期の旅行になるでしょうから。

  

  

  

 しかし、この旅行で気力と体力を使い果たしたのか、それまで緩やかに悪化していた父の様態は、旅 行から帰ってきて以降、急速に悪化してしまいます。

 本人が 「 これ以上家に居るのは無理だ 」 と判断したため、12月4日に再入院。 もはや治療のため ではなく、緩やかに死を迎える緩和ケアの為の再入院です。

 当初、「 痛い苦しいではなくて、強烈な倦怠感に対しても麻薬を使った緩和ケアを施して貰えるのだ ろうか 」 と不安でしたが、父のような症状に対しても緩和ケアは行われました。

 基礎代謝の数割程度しか栄養が摂れない状態でしたが、それでも一方的に悪化し続けるワケではな く、呼び掛けても起きることさえない日もあれば、起きていてちゃんと会話が出来る日もありました。 再 入院後に担当医から 「 年を越すのは難しいでしょう 」 と言われていましたが、三歩進んで二歩下が る、ならぬ三段階悪化して二段階戻る父を見て 「 こりゃあ年を越せるんじゃねーの 」 と楽観視。 風 邪で発熱した私は、公休を取って面会に行く筈だった18日に、布団に包まって丸一日寝倒してしまった のです。 というのも、元々は20日から始まる大阪モーターショウを見に行く予定で20日にも有休を取っ ており、取り消していなかったので、「 面会は20日に行けばいいや 」 と考えたのです ( 幾ら私でも、さ すがに親が半危篤状態でショウを観に行く程の冷血漢ではありません )。

 しかし

 20日の未明に、二世帯住宅の一階に住む母が病院からの連絡を受け、二階で寝ていた私を起こし に来ました。 午前2時頃でした。 急いでクルマで病院に駆けつけましたが、私達は間に合いませんで した。 ただし、病院の近くに住んでいた妹が私達よりも早く駆け付けることが出来て、最期を看取れた そうです。 緩和ケアのおかげで、睡眠の延長のように安らかに逝ったとのこと。 苦しまずに済んだの は何よりでした。



 ・・・ というような経緯を他人に知らせて何がどうなるわけでもありません。 ただ、かねてから私は、 親の最期の務めは、子に「死とは何か」を見せることにあると考えていました。 もちろん、様々な理由 で、其れが叶わずに世を去る親御さんもおられるでしょう。 ただ、格段の事由がなければ、親は子に 死というモノを教えるのが最期の勤めだと考えていたのです。 その点で言えば、父は立派に役割を果 たしました。 最初の治療で一時は完全に治ったのですから、再発からの短い期間で父は死を受容し てみせました。 そして 「 緩和ケアというものがあるから、死は何も怖くないんだ 」 と知らせてくれまし た。 それはタダの結果論なのかも知れません。 いえ、結果論に過ぎないでしょう。 それでも、夫婦 喧嘩のしょうもない愚痴を私に吐露していた父が、死に対峙する恐怖を一言もクチにせずにこの世か ら去ったことを私は誇りにしたいと思います。

 私の時は、随分と無様な最期を見せそうな悪寒がしてしまいます。





 さて。

 葬儀を終えた後の26日に事務所の片付けを兼ねた形見分けをしました。
 ( この日は、私がアトピー性皮膚炎の受診を予約するために、以前から公休にしていた日です )

 カメラが増えてしまいました。

 Pnasonic FZ-200 とキャラクターが被る Canon PowerShot Pro1 です。

  

  

 なかなか良さげなんですが、実は二つばかり凶悪な欠陥がありまして。

 一つ目が背面の液晶モニタ。

  
                       ↑液晶の真正面なら綺麗に見えるのですが

 
 ↑通常に使う角度から見下ろすと、色がおかしくなります。

  
 ↑なので、背面の液晶を見ながら撮影しようとしたら、バリアングルで使う破目になります。

 んじゃ折角付いているEVFを見て撮ればいいじゃん、と思われるでしょうが、
 
 ↑この画像ではちょっと分からないと思いますが、物凄く荒いんです。

 大昔にオモチャで発売されたヘッドマウントディスプレイ並みの画素数で、構図が漸く確認出来るの が精一杯。 ピントが合っているかどうかなんて全く分かりません。

 そんな仕様なのに、二つ目の欠陥が存在するのです。

 その二つ目の欠陥とは ・・・ オートフォーカスがちゃんと機能しません。

 オートフォーカスが決まらなくて、いつまでもレンズが動き続けているなら、まだマシなのです。 このカ メラのオートフォーカスは、なんと!オートフォーカスで焦点が合っていなくても、ピピッ♪と音が鳴って、 「ピントが合ったよ」と知らせてくれて、シャッターが切れるのです。

 さすがに、これは父が所有中に故障してしまったのだろうと思いましたが、価格.コムのレビューにも オートフォーカスが合わない旨の書き込みがあります。 おそらくは、これで正常なのでしょう。

 ↓以前に紹介したジャンクコンデジ達と同じシチュエーションで撮影した FZ-200。
 

 これは、ちゃんとピントがあっています。 分かり易いように少し大きな画像で貼ります。

 

 この画像の前に撮った画像が↓コレ↓です。 3枚あります。
 

 

 

 いずれも、ピピッ♪と鳴ってシャッターが切れました。 ピントが合っていないにも関わらず、です。 こ れじゃ完全に欠陥商品です。

 まぁ、発売されたのが2004年3月ですから、幾らかは低性能でも仕方がないのかも知れません。 し かし、これを発売した5ヶ月後に前のページで紹介しましたPowerShot A400 が発売されるのです。

 
 ↑これが、同じシチュエーション ( 室内電灯のみ ) に於ける A400 の画像。
 「 最新のコンデジで撮った 」 と言われても、信じてしまいそうな位に綺麗な画像です。

 発売当初の実売価格は、PowerShot Pro1 が13万円(!)で、PowerShot A400 が2万円台 ( というこ とは、高く見積もって29,800円 )。 確かに黎明期の5ヶ月間は日進月歩の日々ですから、同価格帯な ら差が出て当然だと思います。 しかし、常識的に考えれば僅か5ヶ月間の差で、ハイエンド機が大衆 機の足元にも及ばなくなるというのはマズイのではないでしょうか。

 これを買った父の失念たるや如何程だったでしょう。





 PowerShot Pro1 に関して 「 親父も微妙なモンを買っちゃっていたんだな 」 と思いましたが、29日に 自宅を整理しようとした所、微妙じゃないマトモなカメラが出てきました。 デジタル一眼レフ Nikon D60  とハイエンドコンデジ Fujifilm X10 です。

 先ずは、念願の一眼レフである D60 から。

  

  
 ↑背面にモニタがありますが、情報が表示されるだけです。 ライヴビュー撮影はできません。

  
 ↑内蔵ストロボあり。 ただし、ストロボ不可モードでなければ、勝手に開いて光ります。

 
 ↑もちろん、室内灯下で撮影してボロが出るような糞感度ではありません。


 さて問題は、コイツの入手によって Panasonic FZ-200 の出番がなくなるかどうか、という点。

 室内の電灯を消して、カーテン越しの日光だけを頼りに
 薄暗い部屋の隅に置かれたミニカーを望遠端で撮ってみます。
 ちなみに、距離測定用の補助光は OFF です。
 

 
 ↑Nikon D60 の望遠端で2枚撮ってみましたが、ピンボケですね。

 Exif情報は、 [シャッタースピード] 0.6 秒 ,[ISO感度] 1600 ,[絞り] F5.6 との事。

 ただし、暗いのにちゃんと発色している点は好印象です。


 一方、同じシチュエーション、同じ被写体をほぼ同じ大きさになるように ( 望遠率5倍 ) Panasonic  FZ-200 で撮ると
 
 ↑バッチリでは無いにせよ、一応はピントが合っています ( 一発勝負 )。
 もちろん、こちらも距離測定用の補助光は OFF です。

 オートフォーカスが合う ( D60 は合っていませんが ) のに必要な時間は、( 体感的に ) ほぼ同じで した。

 FZ-200 のExif情報は、[シャッタースピード] 1/10 秒 ,[ISO感度] 1250 ,[絞り] F2.8 。

 D60 のExif情報が、[シャッタースピード] 0.6 秒 ,[ISO感度] 1600 ,[絞り] F5.6 でしたから、描写 力を無視すれば、 FZ-200 は D60 よりも低感度で、しかも早いシャッタースピードでピントの合った撮 影が出来ていることになります。

 (ノ∀`) アチャー  D60 が2008年2月22日発売FZ-200 が2012月08月23日発売なので4年半の差があ るのですが、それにしたって暗い場所でのノーストロボ撮影と云う限られた条件とはいえ、撮像素子サ イズ23x15mmのAPS-C機が同6.2x4.6のコンデジに負けるとは思いませんでした。
 もちろん、撮像素子のデカさは、そのまんま描写力として反映されるハズですから、陽光下なら D60  が活躍してくれることでしょう。 しかし、倉庫のような閉じた空間で催されるモーターショウやオートメッ セで半裸のおねぇちゃんを撮って、小さくリサイズしてwebにアップロードするのは、FZ-200 の方が向い ているみたいです。





 さて、もう一台。

 ハイエンドコンデジ Fujifilm X10  です。 実はコレ、私も欲しいなぁと思っていた1台でした。

 ズームが4倍というのはロースペックですが、レンズのF値がワイド端で2.0,テレ端で2.8というのは 立派。 撮像素子が2/3というのも、普通のハイエンドコンデジ機の1/1.7よりも大きくて高性能が期待 されます。

  

  

 ↓レンズの“張り出し”は OFF 状態でも小さくありません。 携行性能は難ありです。
   
                              ↑上部右に露出補正ダイヤルがあります。

 
 ↑ストロボはポップアップ式。 ボタンを押さない限り、勝手に作動することはありません。

 ついでなので、コイツでも薄暗い室内のミニカー撮影に挑戦してみました。
 
 望遠端で↑これ。 光学4倍には、ちょっと遠かったですね (汗)。

 でも、FZ-200 と同様に、バッチリではないものの、一応はピントが合っているようです ( ちょっち甘い か )。

 Exif情報は、[シャッタースピード] 1/12 秒 ,[ISO感度] 1600 ,[絞り] F2.8 でした。

 FZ-200 のExif情報が、[シャッタースピード] 1/10 秒 ,[ISO感度] 1250 ,[絞り] F2.8 でしたか ら、ISO感度の差が丁度シャッタースピードの差になったような感じです。 FZ-200 では大仰に見えてし まうようなシチュエーションで活躍してくれそうです。





 ■ 追伸 ■

 久しぶりにamazonから「アフィリエイトの振込みをした」とのメールが届きました。

 

 ¥4,952也

 ありがたや、ありがたや、これで年が越せます。


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